モンゴル襲来と国土防衛戦

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元寇
(写真はイメージです)

13世紀、ユーラシア大陸に史上最大の国が勃興する。騎馬民族国家の元は東は日本、西はヨーロッパと激戦を繰り広げる。
日本最大の国難の一つ元寇は、その猛攻をしのぎきったのだが、どのような戦が繰り広げられたのだろうか。

モンゴル襲来と国土防衛戦

北岡正敏
叢文社

私の感想
元寇は勝つ見込みがなかった

モンゴル襲来と国土防衛戦

本書は歴史家ではなく、工学の専門家による元寇の解説本である。筆者は元寇に関する本は多々あるが、現地調査もせず、ロジスティックスや軍政に詳しくない学者や神官が書いた本は信憑性に乏しく、戦後のインテリは偏見に満ちていて、戦前の研究の方が良いとする。武士団について資料的な価値もある一冊である。

1274年文永の役 元軍2.8万人(兵数1.3万)
1281年弘安の役 元軍14万(兵数10万)
これに対して、幕府軍15万(兵数6万)で、それはあくまでも九州の武士団の最大動員数でもなかった。

元軍の無謀な上陸

元軍の渡航しての攻撃には、無理があった。
遠洋航海のため、大型船で朝鮮半島や中国大陸から北九州へ移動したが、上陸する際には小舟に乗り移る必要がある。これでは、得意の集団戦法をとれない。
小舟に乗り移って上陸するまでに、激しい攻撃を受ける。
補給できなければ携帯した60本の矢を1~2時間で撃ち尽くしてしまい、逃げ回るしかない。
上陸しても、圧倒的多数の幕府軍に囲まれた状態である。
撤退しようとしても、すぐには船に乗れない。
弘安の役の際には、幕府軍は十分に準備しており、船で陸に近づくことすら難しかった。

兵士にとって、悪条件は重なる

長靴は上陸する際には邪魔になる。てつはうは投石機用の燃焼弾であり、爆薬ではない。
弓の威力も幕府軍に対して劣っていた。
元軍の装備は酷暑で蒸す日本の気候には不向きで、地形に不案内なため、湿地や森にも行動を妨げられた。
船のなかで食料・水は腐り、病人が続出する。
不慣れな船旅から脱出すべく、弘安の役では平戸島、鷹島に陣取るものの、台風で船の多くが大破する。
幕府軍の士気は高かったが、渡航のため疲労していた元軍の士気は下がっていた。
かくして、元軍は博多湾攻略を目指すも、大量の戦死者を出して、敗退した。

本書は装備、行軍、兵站を詳細に見る。兵士の体力を数学的に計算する。神風神話が寺社勢力に都合の良いように広められた物だが、台風は間違いなくあり、その台風に対して弱い海域まで押し出されたのは、幕府軍一人一人の頑張りや元軍の戦略の弱点にあったのである。元軍は不慣れな海上での戦いによって、モンゴル平原で行っていた戦闘とは条件が大きく異なっていたのである。
筆者は雲の上の視点から見ないインテリ学者をも批判する。戦後の自虐史観から正当な歴史を顧みることなく、思想のままに歴史を書こうとする学者・作家を徹底的に非難する。
元軍の戦争は、野火が広がるような戦い方をする。一カ所を占領して、すぐに自己の戦力に変えて、軍を大きくする。しかし、この方法は大海を挟んでの攻撃には通用しなかったのである。
弥生時代の騎馬民族征服説や、この元軍の攻略の神話の元となっているのは、ゲルマン人によるイングランドの浸透や、ノルマンコンクエストが影響しているのだろう。ゲルマン人による征服は、ゲルマン人がすでにイギリスに拠点を持っているから行えたことである。ノルマンコンクエストはゲルマン国家が必ずしも統一したイギリス国家ではなかったからできたことである。それに対して、日本は古代から太宰府をおいて警戒していたのである。本書は重厚であるため、内容の一部しか紹介できないが、元寇や鎌倉節の戦いに興味がある人にとっては、貴重な資料集でもあるので、戦国・軍記物好きにとっては辞書的に持っておきたい一冊であろう。

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